2015年6月18日木曜日

道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である

戦前の日本人の「勤勉」の象徴であった、

二宮金治郎(金次郎)像が

小学校から撤去されて久しい。

今は、一部の学校にしか残っていないそうです。





ニュースになったのは、もう3年も前になります。

その理由があまりにもバカバカしいもので

ありました。

・本を読みながら歩くのは危険である

・子供が働く姿は悪影響を与える

など・・・大人から学校に数多くのクレームが

入ったと言うことです。

学校側は困惑しながらも撤去に踏み切った

とされています。

車もない時代に何が危険だというのでしょうか?

子供が働く姿が現在の教育にどんな悪影響を

及ぼすというのでしょうか?

私は理解に苦しみます。


昨今問題視されている「歩きスマホ」に照らし

合わせるのもナンセンスではないでしょうか。

みなさんはどのようにお考えでしょうか?


さて、タイトルの「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である

は先述の二宮尊徳翁の言葉とされています。

私はこの言葉を商売(仕事)に置き換え勝手に

解釈させていただいています。

とても重たい言葉だと受け止め、たまに思い出し

て考えるようにしています。

たまにですが(笑)

「利益が出なけれは会社は倒産してしまいます。

かと言って過度に利益追求に走るとお客様の

利益を損ないます。

商売哲学(経営理念)を持たなければ時に

罪悪を生むこともあるかも知れない。

しかしキレイごとだけでは誰も信用してくれない。

誰もついてきてくれない。誰も喜ばない。

お客様に喜んでいただき、理念の上で      

数字や結果を生み出さなければならない。

そろばんと論語のバランスが大事である。」

と自分の立場での勝手な解釈をしています。

名言ゆえに奥が深く、考えさせられる言葉です。

今日は長々と書いてしまいました。

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。
















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