もう4年ほど経つでしょうか。
お客様で当時90歳のおばあちゃん、苗字は伏せますが名前は米(よね)さんが、
娘さんのすすめで総社の介護施設に入居することになりました。
僕は家が近所ということもあり、仕事帰りに集金に寄り、よくお話させてもらっていたのです。
奈良の大仏建立時に銅が不足し、黒崎の帯江銅山から銅を運んだとか、米さんのお爺さんは1日かけて玉島港まで歩いて魚を買いに行っていたとか、その昔、米さんの家は山の上にあり、
寺の住職が船で来ていたとか、面白い話をたくさん聞かせてもらいました。
また、ご主人が若くして亡くなった為、急遽米さんが田んぼをすることになったそうです。
それまで米作りはご主人の仕事で、米さんは右も左も分からなかったそうです。
最初の3年ぐらいは全く分からず、米作りは失敗の連続ということでした。
しかも、近所の農家さんが教えてくれないどころか、農家の男性たちによく馬鹿にされたそうです。
「女に米が作れるものか!」と。
それが悔しかったそうで、米さんは死ぬほど勉強し、死ぬほど研究したと言ってました。
毎日田んぼに行って観察してたとも言ってました。
失敗を繰り返しながらも意地で米作りを続け、台風が来ても倒れない稲を作れるようにまで
なったそうです。
そのうち農協から米の品質が高いと絶賛されるようになったそうです。
そこに辿り着くまでは10年掛かったようですが。
そして逆に馬鹿にしていた男たちが米さんに、ノウハウを聞いてきたというのです(笑)
「絶対に教えてやるもんか!」と米さんは無視したそうです(笑)
結局、米さんは50代から米作りを始めて75歳ぐらいまで作っていたようなので、
90歳でもお元気そのものでした。
当時、僕にこう言っていました。
「本当は施設に入りたくないんよ。まだ元気だし一人の方が気が楽だから。」と。
なんか可哀そうでしたが、心配する娘さんの気持ちも分かるし、複雑な気持ちでした。
まあ米さんのことだから元気にされていると思います。
軽く100歳超えてほしいですね!
名前のごとく「米」にまつわる仰天エピソードをお持ちのおばあちゃん「米さん」のお話でした。
帯江銅山跡を見て、ふと米さんのことを思い出したので。。。